広島に原爆を落とす日〜風間杜夫スペシャル〜
<劇団つかこうへい事務所公演>


 スタッフ
 作・演出 つかこうへい
 音楽   大津あきら
 美術   石井強司
 照明   服部 基
 音響   山本能久
 他

 小説
 「広島に原爆を落とす日」
      (光文社文庫)
      (角川文庫)


 出演
 風間杜夫
 加藤健一
 平田 満
 かとうかずこ
 石丸謙二郎
 長谷川康夫
 角替和枝
 高野嗣郎
 竹谷三四郎


 会場
 西武劇場
 1979年8月
 前売り 1400円

 地方公演
 京都教育文化センター
 大阪SABホール
 名古屋公演もあり
 1979年10月
 前売り 1700円
 当日券 1900円


「戦争で死ねなかったお父さんのために」に登場した白系ロシアの混血ディープ山崎を中心に発展させた芝居。
マシンガンのように飛び出す台詞、喜怒哀楽の激しいキャラクター。
“風間杜夫スペシャル”と銘打たれているように、全編ハイテンションのディープ山崎を出ずっぱりで演じきり、つか事務所での風間人気を決定付けた作品である。
知名度では劣るが、舞台では「蒲田行進曲」の銀ちゃんよりアタリ役だったと私は思う。
ディープ山崎の狂気が、愛する女性ひとりのために故郷・広島に自ら原爆を投下し、市民40万人の命の犠牲も止む無しというところまでエスカレートするのが、それまでのつか芝居にはなかった点である。小市民的な世界から、歴史を相手に狂気を仕掛けるようになった最初の作品だろう。
その後の「幕末純情伝」90年代版「飛龍伝」「犬を使う女」と、スケールアップしてゆくつか芝居の原点か。
ただ、当時は原爆を投下するに値する愛というものを納得させるには、少々乱暴なのでは?と思った。つか演出では一度しか観ていないので、未だに私の中ではうまく消化されていない。
1998年に稲垣吾郎版の「広島−」を観た。
初演では省略されていた歴史的な背景や人間関係を、いのうえひでのり演出はうまく整理してわかりやすくなっていた。演出が派手になりエンターティンメントとしてもより楽しめるのが98年版の特徴である。
稲垣吾郎も滑舌に不満はあるものの、雰囲気に合っていたしさすがにスターの華があり、頑張っていたと思う。
でも17歳の時に観た初演の興奮は甦らなかったなァ。
そりゃ20年たって私も中年になったのだから感じ方が違うのは当たり前だけど、あの異常なほどの熱狂は、時代の空気とともにあったんだなと、改めて感じさせられた。
1979年夏に、風間の肉体があったからこその、「広島」だったと思う。
この絶妙な組み合わせに出会うことがまた、演劇を観る喜びであり、だいご味なんだよね。(観られなかった場合は悔しさに変わるけど)

<おまけ>「広島に原爆を落とす日」予告編


1979年の秋に「初級革命講座・飛龍伝」「いつも心に太陽を」「広島に原爆を落とす日」の三作品連続公演が大阪であった。
初日の「飛龍伝」終演後に、突然「いつも」と「広島」の予告編が始まってビックリ!
会場のSABホール(現在は閉館)の舞台裏が地下駐車場で、舞台正面の壁が取り払われるとそのまま駐車場とつながっているホールの造りにも驚いたが、そこから「飛龍伝」に主演した加藤健一が車を運転して現れ、舞台に乗りつけたのには、度肝を抜かれた。
その後、平田満が舞台に登場。確か越路吹雪の「夢の中に君がいる」にのってパンツ一丁で踊る平田に「あの森繁久彌をして、10年後にはこの男の時代になるだろうと言わしめた男、平田満!」という高野嗣郎のナレーション。「いつも心に太陽を」の予告編である。
そして勇壮な音楽とともに軍服姿の風間杜夫が!
「この秋、男の為の男の演劇ハードボイルド演劇『広島に原爆を落とす日』!」などのナレーションの後、「バイオレンス風間!」「エロチック杜夫!」と叫ぶ高野の声にあわせムキムキポーズを決める風間。今でもこのシーンを思い出す笑ってしまう。
この頃、一緒に風間ミーハーをしていた友人は「風間さんが出ないから」とこの日は来ていなかったが、後で予告編の話をしたらたいへん悔しがっていた。
もちろん「飛龍伝」はとても面白い芝居なのだが、この予告編の印象が強烈で観終わった後は「風間さんが見られて嬉しい」という超ミーハーな感想ばかりが頭を廻っていた。
「いつも」と「広島」は通路まで一杯のなか上演されたが、「飛龍伝」は急遽決まった追加公演だったせいか、満席にはなっていなかった。私は当日券で行ったのだが、ちゃんと座って観ている。まだ余っている席もあったと思う。
たぶん600人程度の観客だったと思うが、考えてみればこの予告編を観たのはこの600人だけだ。なんと贅沢な予告編だろう。
最近はビデオもあるが基本的には消え去るのが演劇の宿命である。そういう意味では、演劇はもともと贅沢なものではあるのだが、あの時代にこの顔ぶれで600人というのは、やはり特別な感慨がある。
私にとっては、宝石のような思い出だ。
 

※文中敬称略