過去のひとりごと(2003年10〜12月)
 
2003年12月19日(金)

先週の金曜日、厚生年金会館芸術ホールに『飛龍伝』を観に行った。
昔の『初級革命講座・飛龍伝』は何度か観ていたけれど、今の形になった『飛龍伝』は2年前の内田有紀バージョンに続いて二度目だ。
神林美智子は今回は広末涼子。
ビックリするほど色が白くてさすがに可愛いかった。
でも、勝気そうな眼差しはいいんだけど、線が細くて動きが鈍い。
気持ちは入ってるんだろうけど、気持ちに技術が追いついてないんだろうな。
全共闘40万のトップに立つカリスマ性は感じられなかった。
学生活動家がみんなチンピラヤクザみたいなのもちょっとなあ。
『二代目はクリスチャン』じゃないんだからさ。
なんだかバタバタした舞台だなあ、時間の経過もヘンだよなあ、どっかで見たようなシーンが多いなあ等々、不満はいろいろあるんだけど、最後の30分は感動させられてしまった。
なんかちょっと悔しい(^^;)
前回の小川岳男はやたらと暗い山崎で(小川岳男はスキよ)、その点、筧利夫の明るさには救いがある。
でも、この人の台詞回しが私はちょっと苦手だ。
とはいえ、最後のネチネチ美智子をいびる典型的なつか芝居では、その屈折した心情が胸に迫る演技で良かった。
春田純一は、そろそろこの役はキツいなあ。上昇志向をみなぎらせた若者なのに、やけに最初から貫禄あるんだもん。
昔の『飛龍伝』は、学生運動をかなり斜めに見て、おちょくってるようなところがあった。
例えば、機動隊との戦いから逃げた過去を責められた男は「逃げたよ。だって怖いんだもん」と、シレっとして答えて(また平田さんの言い方が絶妙)観客の笑いを誘っていた。
でも、今回の芝居では逃げたことが大きな恥であり、トラウマにもなっている。逃げたことを責める相手もまた真剣で、そこには笑いの入る余地はない。
そうなの。あまりにも真剣。あまりにも真っ向勝負。憎しみも愛もストレート。
逃げることなく人間の感情の泥臭さを描く今のつかさんの作劇に感動はするんだけど、どこか気持ちが引いちゃうんだよね。
これ、WOWOWで放送するらしい。
小泉ネタはともかく、宗教関係の危ない台詞は放送できないだろうなあ。

『飛龍伝』を観て、一晩寝て、ネットを見たら「広末妊娠・結婚」の記事。
これにはビックリ。
カーテンコールで筧利夫が「千秋楽には何かが起こる!」と連呼していたのはこのことだったのね。

水曜に近鉄小劇場で映画『赤目四十八滝心中未遂』を見た。
映像は綺麗だし、2時間40分、長いとは感じなかった。
インテリ青年が社会に適応できず尼崎の底辺に生きる人々に混じって生活を始めるが、やはりそこにも、この青年の場所はない。
原作では、サラリーマンになった中年男が、過去の体験を振り返るという構造なんだけど、映画では現在の話になっている。
主人公のひ弱なインテリぶり、情けなさに共感を覚えはする。
でも、なんだろう?純文学風味っていうのか、うまく言えないけど、その格調高さゆえに、のめりこんでは見られなかったと思う。
寺島しのぶのうらぶれた美女ぶりに、雰囲気あり。

DVDで『めぐりあう時間たち』を見た。
この映画は痛い。途中から泣けて泣けてしょうがなかった。
トンネルの暗さと、そこにともるロウソクの明かりの優しさ…とでも言うか…
抽象的ですみません。でもこの感じ、うまく表現できない。

『夜消える』(藤沢周平)読了。

明日とあさっては東京。
『世阿彌』難しいのかな〜?戯曲はけっこう面白いと思ったんだけどな。
 
2003年12月11日(木)

前回書いてからもう2週間近くも過ぎてしまったのね。
気が付いたら12月になって初めての「ひとりごと」だ。
今日はかなり寒くて、いよいよ年末だなあと実感する。
市の粗大ゴミセンターに粗大ゴミの回収を頼んだら、年内はいっぱいで回収は来月の中旬になると言われた。
そうか〜、今頃申し込んでも年内は無理なのか。
みなさん、早くからちゃんと片付けの準備をしてるのね。
部屋にあるデッカくてかさばるテレビボードを処分して、軽くて小さいテレビ台を買いたかったのに。
古いのを処分できなきゃ、新しいのは入れられないわ。来月までおあずけかぁ。ガッカリ。

先週、ラインシネマで『阿修羅のごとく』を観た。
原作のファンにはいろいろイメージの違う部分があるんだろうけど、小説を読んでいない私には、面白かった。
大竹しのぶと桃井かおりの共演は、怖いもの見たさ(?)もあり楽しみにしていたのだけれど、案外アッサリ。でも、その引き加減がうまいと思う。
中村獅堂は儲け役だな。最初は「その演技、ちょっとくどいよ」と思っていたのに、不思議と途中から愛すべき人間に思えてきた。
女きょうだいのいない私にはわからない感覚も多くて、姉妹って大変だなと思う反面、羨ましいとも思った。
この映画は昭和54年が舞台になっている。
私の知っている54年よりはもっと古い時代の日本の匂いがしたな。
八千草薫演じる母親には泣かされた。
こういう女性像って、今の時代にはどうなんだろう。もう天然記念物なんだろうか?

最近観たビデオやDVD
『牝猫たちの夜』
田中登監督の日活ロマンポルノ(1972年)
あ〜70年代の映画だ〜と思った。
登場する若者の浮遊感とか、挫折感とか、でも、今よりもっと自由な感じとか、あの時代独特の空気があふれていた。
女の子っぽい男の子が登場して「ゲイの○○ちゃん」(名前忘れた)と言われるんだけど、今見ると、あれはゲイとは違うんじゃないの?と思う。
ラストの新宿のビルのシャッターが一斉に上がって行く有名なシーンは、評判通りいい。
『闇に抱かれて』
これも1982年の日活ロマンポルノ。
ヨーロッパ映画のような大人っぽい雰囲気のある映画だった。
心にどうしようもない寂しさを抱えて生きている2組の男女が、一組は失踪した友達を探して、もう一組は自殺の場所を求めて、三宅島をさすらう話。
ロマンポルノでこれ言ってもしょうがないけど、ここでベッドシーンなくてもいいのにやるか〜と思っちゃう。というか、あってもいいけど、他のシーンももっと見たかったのよね。
1時間ちょっとという時間の制約があるから仕方ないんだろうけど。まあでも、佳作だったと思う。
『Dr.Tと女たち』
女性にモテモテの産婦人科医(リチャード・ギア)の話だと聞いて、主人公はプレイボーイなのかと思ったら、妻ひとすじの誠実な男だった。
この医者に接近しようとする女性たちや、家族が巻き起こす騒動をちょっと寓話っぽく描いた映画で、一種の受難劇のような趣きもあり。
んー、退屈ではないし嫌いでもないけど、特に強い印象は残らなかった。
ロバート・アルトマンの映画だけあって、出演者は豪華。
久々にファラー・フォーセットを見たなあ。
最初は誰かわからなかったけど、よく見ると『チャーリーズ・エンジェル』の頃とあんまり変わってなかった。
『ケミカル51』
イギリスを舞台に、天才薬剤師サミュエル・L・ジャクソンと、麻薬組織の下っ端ロバート・カーライルのコンビが、究極のドラッグのレシピで一儲けしようとするアクション映画。
ガイ・リッチーの映画みたいなのを作りたかったのでは?と想像するんだけど、どうも不発。予告を見て期待してたのになあ。残念。
『ドリームキャッチャー』
あ〜、こういう映画には弱いのよー。
ホラーなのに、何度も涙がボロボロと…
ホラーとしての完成度の低さは認めます。軍隊の描写が中途半端だし、大人になった主役の4人の生きることの苦さも十分には描かれていなかった。
でも、少年時代の4人の友情、それからダディッツを演じた男の子の表情!もうこれだけでダメっす。
やっぱりワタシってセンチな人間なんだわ。笑わば笑え!(って誰も笑ってないけど)ってな心境です。
原作は読んでないんだけど、文庫で全4巻なのね。
これだけ長い原作を2時間強の映画にしてしまったのだから、そりゃあ深くは描けないでしょう。
いつか、原作も読んでみたい。
『山ほととぎすほしいまま』
シアターテレビジョンで以前に録画したものをやっと見た。
昭和初期の女流俳人・杉田久女をモデルに秋元松代が書いた作品で、演出は出演もしている江守徹。
女性が男性社会で生きていくことが、今よりもっと難しかった時代に、自分らしく生きようとした一人の女性の姿が鮮烈に描かれていた。
厳しく気性の激しい主人公を高橋惠子が熱演。
「私は凡庸を憎むわ」と言い放つ主人公を見て、こういう生き方は疲れるだろうなあと、凡庸な私は平凡であることにホっとする。
やっぱり命を削るほどの研ぎ澄まされた精神を持っているから、芸術的な才能も生まれるのかな。
嫌味な男を演じた井上倫宏って、『ER』のグリーン先生だよね。
そうか、こんな顔の俳優さんだったんだ。けっこう好きかも。

先週末、中古CDを売りに行ったら写真付きの証明書を求められ、さっそく新しい免許証が役にたった。
でも、「この人、免許取立てや」と内心思ってるんじゃ…なんてどうでもいいことが気になる。
女子十二楽坊は1400円で売れたが、クラッシックはどれも10円にしかならず、アホらしいので売らずに持って帰ってきた。
同じ日、古本も売りに行くが、発行年の古いものが多く、9冊で700円にしかならなかった。
でも家に置いていてもかさばるだけなので、安くても捨てるよりはいい。
 
2003年11月29日(土)

今日もよく降るなあ。
明日の朝は大雨だとか。窓の隙間から雨漏りしたら嫌だから、雨戸閉めて寝よう。

携帯電話を買ったりレンタルビデオ店の会員になったりするときなど、身分証明書の提示を求められる機会がけっこうある。
運転免許を持っていないので、私の場合はいつも保険証を見せていた。
でも、常に保険証を持ち歩いているわけじゃないので、急に必要になったときは困る。
また、最近では写真付きの証明書が必要な場合もあり(例えば、梅田のヨドバシカメラ1階にあるインターネットカフェとかね)、そんなときは保険証では対応できない。
常々、手軽に持ち歩ける写真の付いた身分証明書が欲しいと思っていたので、一念発起、原付免許を取ることにした。
市役所で写真付きの「住民基本台帳カード」というのを発行してもらえるらしいのだが、どうも、この「住基ネット」というものに抵抗があり、それよりちょっとお金がかかっても、免許のほうがいい!ということで、水曜日に門真の試験場まで行ってきた。

仕事は在宅なので、平日でも時間の融通はききやすいのだが、試験を受けるには、朝7時過ぎに家を出て、合格したら夕方4時近くまで時間が必要。ほぼ一日つぶれることになる。
家の都合で、丸一日自由になるのは水曜日だけ。ここで落ちたらまた一週間、試験はお預けだ。さっさと済ませたい!
と、緊張しつつ、試験を受けた。

私も高校生ぐらいの頃は怖いもの知らずというのか、まるっきり勉強しないで平気で試験を受けていた。
今思うと、よく落第しなかったなあと怖ろしくなる。
年をとるごとに臆病になっていき、今回は、連休を利用して自分としてはかなり熱心に勉強したと思う。
それでもまだ不安で、試験直前まで、参考書を手放せなかった。
それにひきかえ、試験を受けにきていた高校生たち、ギリギリに教室に入ってきて、ボーっと座ったまま。参考書なんて持ってすらいないようだ。
それでも合格するんだから、私の努力っていったい何?って感じ。
しかし、平日なのになんで高校生がいるんだろう?それも制服姿で。
夕方までかかるんだから、制服着る意味ないやん。
それとも、家族には「学校に行く」と言って家を出てきたのか?

それはともかく、学科試験は参考書に出ていた問題が多く、難しくはなかったと思う。
無事に合格。やった〜免許がもらえる〜。
しかーし、大変なのはこれからだった…
午後からの講習ではすぐに軍手とヘルメットを渡され、原付に乗らされた。
原付に乗ったのはまったく初めて。
ほとんどが10代の参加者の中、おばさんは辛かった〜(T-T)
アクセルの調節がうまく出来ないの。
自分では軽く握ってるつもりなのに、「スピード出しすぎ!」と怒られ、力を緩めると減速しすぎてヨロヨロ(^^;)
思えば、私は普段から何をするにも力を入れすぎるきらいがあるのだ。
お箸を持っても鉛筆を握っても、いつの間にか力の入れすぎで腕が疲れてる。PCのマウスもブンブン振り回すし、ほどよく力を抜くことが出来ない。
人一倍肩こりなのも、乗り物に酔いやすいのも、うまく身体をリラックスさせることが出来ないからかも。
講習でも、「力を抜く!」と何度も言われたが、これが普通なので、抜けと言われてもそう簡単に力は抜けない。
私と、自転車に乗れないという女の子と、もうひとりの女の子と3人だけ、他の人たちとは別メニューで、直線距離の往復ばかりやらされた。(=TェT=) ゥワーン情けない〜。
でも、正直言って、別で助かったー。
何十人もの人と一緒にコースをぐるぐる回るなんて怖すぎる。考えただけでイヤじゃ。
講習で成績が悪くても免許取り消しになるわけじゃなし、ココをガマンすれば…と教官の罵声に耐えているうちに実技は終わった。
でも、なんでみんな初めてなのに、あんなに簡単に乗れるの?
今まで無免許で乗ってたんじゃないの?なんて、ひがみ混じりで若い子たちを横目で見つつ、自分のどんくささに落ち込む。

その後、写真撮影と短いビデオを見て、ようやく免許を手にした。
終わってみればあっけない。
試験に受かった喜びよりも疲れのほうが大きく、むしょうに甘いものが食べたかった。

その日の夜は、友達4人でしゃぶしゃぶ食べ放題に行った。
たらふく食べて1980円。飲み物代を加えても2500円ちょっとですんだ。
でも、気分的にも体力的にもヘトヘトで、あまり食べられず。
11時過ぎに帰宅。長いような短いような…、いや、やっぱり長い一日だったなあ。

DVDで『月のひつじ』を見た。
オーストラリアの小さな町に建つ大きなアンテナが、アポロの月面着陸の映像を受信するアンテナに選ばれる。
NASAからは技術者が派遣されるし、アメリカの大使や政府のお偉いさんたちもやってきて、小さな町は大騒ぎ。
・・・という実話の映画化。
宇宙への旅がまだ人類全体のロマンだった時代の、ノスタルジックな雰囲気がいい。
小さな町の大きなアンテナが、無事に大役を果たすまでの、技術者たちのドラマも当然あり、「プロジェクトチームX」的な興奮も味わえた。
地味だけど、ちょっといい映画だと思った。
 
2003年11月21日(金)

もうずいぶん前から肩こりがひどくなるとリンパ腺が腫れるようになった。
今朝、首筋がヘンだなあと思ったらボコボコ。
「腫れてる」と思ったら、余計に肩がガチガチのような気がしてきて、あーもう憂鬱だァ。

今年の始めに祖母が亡くなったので、今年は喪中だ。
97歳の大往生だった。
孫の場合は、3ヶ月で喪が明けるらしいんだけど、同じ家に住んでいて私だけが新年を祝う気にはならないので、今年は年賀状は遠慮することにした。
ということで、喪中のハガキを昨日出した。
切手をコンビニで買って、家でペタペタ貼る。あと4枚で終わりというところまで貼って、気付いてしまった…( ̄▽ ̄;)!!ガーン
「私が今貼っているのは80円切手じゃないか〜!」
なんで気付かないかな〜。アホやん。
今更ハガキを印刷しなおせないし、切手はがしを文房具売り場で見たら350円ぐらいして、それ買ってきれいにはがせる保証はないし、結局80円切手のまま出した。
私の出したハガキを受け取って「あれ?80円切手?」と思った皆さん、そういう理由です。すみません<(_ _)>

レディースデーに『マトリックス レボリューションズ』(以下3)を見た。先週、『リローデット』(以下2)をDVDで見たら、ネオ(キアヌ・リーブス)が倒れたところで「続く」と出て、続きが気になり映画館に行ってしまった。
2は地味な展開だったので、続きはどうなの?と思っていたら、戦闘シーンの迫力は相当なもの。このシーンは映画館で見て正解だったなあと思った。
最初の『マトリックス』(以下1)は公開時に映画館で見てから一度も見ていないので、2を見たときに「どんな設定だったっけ?」と戸惑うことが多かった。でも、わざわざ確認するのもめんどくさいので、「コンピューターに支配された人間が自由を求めて闘う話」と、超大ざっぱに理解。
で、3は、いよいよコンピューターと人間の国(ザイオン)の戦争に発展する。
1は、「つまらない毎日を送ってるけど、実はこれは嘘の世界で、自分は世界を救うための戦士なのだ!」というような、15年前のオカルト雑誌の妄想みたいな話を、あれだけスタイリッシュで斬新な映像のエンターティンメントに仕立て上げたことには感心した。
2は、ザイオンのシーンが多かったので、なんだかスペースオペラみたいだなあという印象だった。でも、あれは宇宙ではないんだよね?
どうして、SFに出てくる政府(独立国?)は、古代ローマ帝国みたいなのが多いんだろうか?今回も評議会とか、すごくクラッシックなイメージで、でも戦闘機はガンダムみたいなのね。
1のときから、いろんなSFやアニメーションの影響を言われていたし、監督のウォシャウスキー兄弟も、そのことを認めていたと思う。
今回はあまりアニメを見ない私にもわかるぐらい、超有名なアニメを思い出させるシーンが幾つかあった。
『マトリックス』って、サイバーパンク版『風の谷のナウシカ』?!
タコみたいな戦闘機から触手が伸びてネオを持ち上げるシーンとか、タコ戦闘機が絨毯みたいにゾゾゾーっと攻めてくるシーンとか、そういえば、ネオの衣装は色は違うものの、ナウシカと同じだよね。救世主という立場も同じ。
まあ、でも、ナウシカだけじゃなくて、ブレードランナーとか、ドラゴンボールとか、いろんな作品のいいところを組み合わせて自分たちの好きな世界を、新しく作り上げたという感じなんだろうな。
タランティーノの『キル・ビル』もそうだし、演劇で言えば新感線とか、自分がカッコいいと思うもの、好きなものをリスペクトしつつ、新しい感覚でリメイクするというのは、今の時代、ポピュラーな方法なんだろうと思う。
元ネタを知らなくても楽しめるし、知ってればもっと楽しめる。
あー、この監督、こういうのが好きなんだ〜と、国は違っても同じような映画や音楽から影響を受けてきたことがわかって、親しみを感じることもある。
ただ、『マトリックス』に関しては、話を広げすぎて収集つかなくなった感はあるなァ。

最近見たDVD&ビデオ
『夢のチョコレート工場』
『アホでマヌケなアメリカ白人1』(テレビシリーズ)
『AIKI』
『サマー・オブ・サム』
どれもなかなか面白かった。

『ららら科学の子』(矢作俊彦)読了

先週、TSUTAYAの半額セールでCDを借りまくる。
戎橋店の筒実京平シリーズを根こそぎ借りたのはワタシだ〜。
やっぱりいい曲が多い!
子供の頃聴いて好きだった曲をまた聴けて感涙モノ(T-T)
竜エリザの『あなたに帰れない』なんて、いったい何年ぶりに聴いたんだろう?
今回の収穫は小川みきとチェルシア・チェン!
もともとガール・ポップは好きなんだけど、これはハマったわ〜。
今更ながら平山三紀やいしだあゆみも、いいっ♪
偶然、少し前の夕刊に筒美京平のインタビューが載っていた。
「心にしみる曲は作りたいと思わない。ヒットメーカーと言われたい」
いや〜、職人ですなあ。カッコいい!
 
2003年11月12日(水)

さっきこの「ひとりごと」を半分以上書いたところで間違ってブラウザを閉じてしまった。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。
画面のスミに再生ソフトを表示して、音楽を聴きながら書き込んでたんですわ。
夜遅くなったので、音楽はもういらないと思って、再生ソフトを閉じたつもりがブラウザだったというお粗末さ。
最近では珍しく、前回書いてから4日後という短い間隔だったのに、せっかく書いた文章が全部パー(;´д`)
ああ、もうイヤ!今日は寝る!
 
2003年11月8日(土)

先週の疲れをまだ引きずっているのか、楽しみだったイベントが終わって気が抜けたのか、どうにもやる気の出ない毎日だ。
つまんないことに腹を立てるし、会話が億劫だし、精神的引きこもり状態かも。
しかし、これではいかんので、昨日は気分転換に映画「キル・ビル」を見た。
この映画の感想の前に、東京で観た芝居と映画について忘れないうちに書いておこう。

10/26シアタートップスでかもねぎショット+オフィス・コットーネの『「おはよう」の国』を観た。
この芝居を観ようと思ったのは井上加奈子さんが出てたから。
古いつか芝居を観てた人なら知っていると思うけど、昔、井上さんはつかこうへい事務所の女優だった人で、今は平田満さんの奥さんだ。
富田靖子や内田有紀らが演じ、今年は広末涼子が挑戦する「飛龍伝」の原型は、井上さんが演じていた「初級革命講座・飛龍伝」の嫁役なんだよね。
数年前からまた舞台に復帰されたと聞いて見たいと思っていたけれど、残念ながらどの芝居も関西公演がなくて、これからも観られないかなと思っていたら、ちょうど風間さんのひとり芝居と公演時期が重なっていて、実に23年ぶり(80年秋の「熱海殺人事件」以来)に井上さんの舞台姿を見た。
さすがに昔のままではなかったけれど(当たり前だ)、相変わらず綺麗。
以前は線の細いイメージだったのが、今は声が心なしか低くなって、重みが増した(体重じゃないよ)ような気がした。
芝居は、日本の近くに、「おはよう」と言うと、それが何時であっても朝になって新しい一日が始まる国があるという設定だ。
新しい朝がくると、その国の住人たちは、新しい自分になれる。昨日は王様で、今日は農夫、明日はギター弾きという具合に。
そこに二人の日本女性が人探しにやってきて、この不思議な国にとまどいながら、失踪していた友人を見つけるのだが、これからというときにいつも新しい朝がきて、なかなか前に進まないという話。
最初は、この国の住人たちが、朝が来るたびに新しい職業(役柄)に変わっていくことが面白かったのだけれど、そのうちに同じ繰り返しに飽きてきて、「延々とこれなの?」と思い始めたところで芝居は終わった。
朝が来るたびに好きな自分になれるのは魅力的なようだけど、結局は現実逃避でしかない。
でも、それはわかってやっているんだろうと思う。
井上さんが演じた主人公には、現実には存在しない男の姿がいつも見えていたり、失踪した友人には、辛い生い立ちがあったり、寓話の中にメッセージらしきものが見え隠れしていて、単なる可笑しな国を舞台にした喜劇ではないことはわかる。
でもね〜、乗り切れなかったなあ。
私はどうしても「自分であること」に拘ってしまう。スルリと変身できる軽やかさとは無縁なんだよね。
新しい自分になるということは、捨てる過去も多いはず。積み上げてきた実績も無になってしまうよね。それは辛いなあ。
でも、日々違う役割を演じていたら捨てることを逡巡する過去もないか。そういう意味では羨ましいかも。
役者はみんな上手かった。サラリとした大人のおとぎ噺って感じだったな。

芝居とは関係ないけど、チケットに印刷された私の席はC−2で、何も考えずにC−3の隣に座った。
しばらくしたら「あの〜、そこC−4なんですけど」と言われ、確認したら確かにそう。
慌てて謝って、さて、私の席は…と思ったらないよ!
一番左端がC−3。
よく考えたら、C−3が左端で、その右隣がC−2なんてことないわな。疲れてて、そこまで頭が回らなかったのよ(^^;)
とにかく、受付で聞いてこようと思ったところに係の人が来て、B−3の席に座ってくださいと言われ、一件落着。
今までにもセットの都合だとかビデオカメラが入るからとか言われて、当日になって席が変更になったことは何度かあるよ。
でも、そのどれも入り口でチケットを見せた時点でちゃんと説明があった。
今回は、チケットを見せているのに係の若いお兄さんはなぜか半券をちぎろうともせず何も言わないでボーっと立ってた。
私が「切らなくていいんですか?」と聞いたら、後ろにいた受付の人が「チケット切って」と慌てたように指示を出し、それを聞いてようやく半券を切る始末。
だいたい、客が来てるのに誰も「こんにちは」も「いらっしゃいませ」も言わないで、ただ黙っ〜てる受付って珍しいよね。
まあ、こんなだから細かい対応は望むべくもないんだろうけど、客席に入ったら自分の席がないってアセるよ〜。役者さんはそこそこベテランの人が多いのに、制作はアマチュアか?と思ってしまった。

芝居の前に新宿文化で「永遠のマリア・カラス」を見た。
実在のオペラ歌手、故マリア・カラスが主人公ではあるけれど、ほとんどフィクションらしい。
50歳を過ぎて、思うように声が出なくなったマリア・カラス(ファニー・アルダン)は、パリの屋敷に閉じこもって生活をしていた。
そこに元マネージャー(ジェレミー・アイアンズ)が現れ、現在のマリア・カラスの映像に若い頃の歌声を重ねて(要するに口パク)オペラの映画を作ろうと持ちかける。
迷った末に承諾し、マリア・カラスがヒロインの映画「椿姫」は完成する。
それは素晴らしい出来栄えだったが、公開を目前にしてマリア・カラスの心は揺れる…
というのが大まかなストーリー。
ダイナミックな「椿姫」のシーンが圧巻。
実際には存在しないこの映画「椿姫」を全部見てみたいと思った。
ファニー・アルダンはゴージャスでプライドの高さも魅力的。
久々に正統派で見応えのある映画を見たような気がする。私の見る映画が偏ってるのかもしれないけどな。

26日は芝居の後は浅草に行って、平成中村座の周囲の雰囲気だけでも味わってこようと思っていたけれど、かなーり疲れていたので結局やめにして、早めに東京駅に行った。
周辺をうろうろしていたらタリーズコーヒーがあったので入った。
コーヒーとケーキを注文したところ「6時閉店なのでテイクアウトのみになります」と言われる。(そのときの時間は6時5分前ぐらい)
いくら日曜のビジネス街だからって6時閉店のコーヒーショップって…( ̄Д ̄;;
仕方ないので、コーヒーだけ頼んで駅で飲んだ。
地下街の古本屋でアン・タイラーの文庫を買う。
新幹線の中で読もうと思っていたが、発車するなり寝てしまい一行も読めなかった。
未だに、まったく読んでましぇん。

昨日、角座で「キル・ビル」を見た。
ストーリーは簡単。復讐に燃えるヒロインが、ひとりひとり相手を探し出し血祭りにあげていくというだけの映画だ。
とりあえずリアリティーは一切無視。飛行機の中に刀ホルダーがあるのには呆れるが、タランティーノ曰く「この映画の世界ではそういうことになってるんだよ!」だそうだ。
この映画に登場する日本もタランティーノの脳内に存在する「なんちゃってJAPAN」なので、細かいことを気にしないで笑って楽しむのが正解だわね。
怖ろしく荒っぽい映画だけど、B級映画好きな人ならワクワクするようなティストに満ちているんじゃないかと思う。
しかし、今回はかなーり自分の趣味に走りすぎて、普通の観客置いてけぼりって気がしたなあ。
アメリカで育った少年が、大好きな仁侠映画やマカロニ・ウエスタン、香港映画をごった煮にして、自分流に味付けして喜んでるって感じ。
タランティーノがたぶん影響を受けた東映のピンキー・バイオレンスものが私は苦手なんだけど、その最大の理由は下品だから。
低予算ゆえの照明やセットの安っぽさもだけど、これでもかとやりすぎるくどい描写がイヤなんだよね。「0課の女」の杉本美樹と室田日出男のバイオレンスシーンなんて、今でも思い出すと気持ち悪くなるもん。
その点、タランティーノの映画は基本的にスタイリッシュで、お金もかかっているようだし、薄汚れた感じはしない。
クライマックスの100人斬り(?)シーンなんて、手、足、頭が飛びまくり、血は噴水のようにピューピュー噴きあがるし、中には胴体が縦に真っ二つの人もいる(^^;
それでもスピーディーな編集とカット割りの巧みさで、思っていたほどにはグロくはなかった。まー、でもやっぱりあまりの壮絶さに途中でイヤになったけど。(けっこう長いし)
この映画は女と女が戦う映画なんだよね。
男はその他大勢、美味しいシーンはみんな女優さんがさらっていく。
血まみれのファイトシーンはどれもカッコいい。
でも、ルーシー・リューの最後は可愛そうだった。顔や首を斬られるよりは…ということで妥協した結果のような気もするけど。
キメ台詞を日本語で言わせるのは、どうなんだろう。
例えば「命のあるものは持って帰れ。でも、斬られた手足は置いていきな。それは私のものだからね」(だいたいだけど)という台詞。いい台詞だと思うけど、たどたどしいので、イマイチ決まらない。英語でいいやん。日本語がわからない人にとっては「ワオ!クーーール!」って感じるものなのか?
帰りのエレベーターの中で、「やっぢマイナー」とルーシー・リューの真似をしている若い女の子がいたけど、真似したい気落ちはわかるわ〜(^。^)
今回で前半戦は終了。後半は残る復讐相手、マイケル・マドセン、デヴィッド・キャラダインとの戦いになるはず。
前半は女同士の戦いだったのが、後編はタフなおやじどもとの対決になりそうだな。
なんだかんだ言って、今から後半が楽しみ。
相変わらず、選曲のセンスはいいけど、梶芽衣子が2曲も流れるとは驚きだ。映画館の暗闇に流れる「怨み節」…なんか、妙な空気だった。

「悲劇喜劇」に載っていた風間さんのインタビューが面白かった。
風間さんは「死と乙女」のジェラルドを演じるに当たって、医師は無実だと考えて役作りをしたとか。
私は「有罪に違いない!」と思ってたから意外だったけど、でも、弁護士という立場ならそうなんだろうなあ。
私は比較的客観的に物事を見るほうだと思うのだけれど、それでもやっぱり女性の皮膚感覚や直感を、理屈ではなく信用してしまう。
それに、あれだけのことをやって、「人違いでした」ではあんまりだしね〜。有罪であって欲しいと願う気持ちが、医師を見る目を曇らせたのかもしれない。
でも、今でも私の印象では有罪だな、あの医者。いや、印象で決めたらイカンのはわかってるんだけど。

「続 江戸職人綺譚」(佐江衆一)読了
面白くて一気に読めた。

3〜4日前、なんばウォークを歩いていたら、南半球フェアという催しものをやっていて、携帯電話のCMで刑事に扮して「なにしよんねん」と言ってる外人さんがパフォーマンスをやっていた。
あの人は、大道芸人だったのか。オーストラリア人?
 
2003年10月31日(木)

昨日はひとり芝居三部作の千秋楽。
ついこのあいだ始まったばかりだと思っていたら、早いなあ。
きっと盛り上がったんだろうなあ。観たかった〜。
私が観たのは24日と25日。
この三部作は、ファンは去年から待ち焦がれていた舞台だったし、風間さんにとっては大きなチャレンジだったと思う。
だから、私もそれなりの気負いというか、「いよいよだ!」と少し身構えるような気持ちで劇場に向かったのだけれど…
いやはや、参りました。降参!
相当力の入った舞台に違いないというこちらの勝手な想像は、爽やかなほど見事に裏切られた。
もちろん、風間さんは渾身の力で演じていたのだと思う。
でも、緊張感はあっても、「おれ、こんなに凄いことやってるんだぞ」的な自意識は微塵も感じさせない。
なんなんでしょうか?あの軽やかさは?!
3時間たった一人で観客を沸かせ、楽しませるなんて、並大抵のことではないはずなのに、いとも簡単にやってのけてしまっているように見えるのだから恐れ入る。
観終わったときに、お尻が痛いとか肉体的な疲労感はあっても、気持ちは高揚していて、逆に元気になっていた(^。^)。
風間さんの芝居に乗せられて、日常の疲れで硬くなった心がどんどんほぐれていくような感じ。
「カラオケマン」も「旅の空」も初演の頃は、まだ少しはぎこちない部分もあったと思うのだけれど、今回は「台詞を覚えて喋っている」感はなく、余裕を感じさせる自然な演技だった。
それだけ、役が自分のものになったということなんだろうな。
今回が初演の「一人」にしても、前2作と同じ人物という設定のせいか、初演とは思えない安定感。
とにかく観ていて、とても居心地のいい作品だったな。何より風間さん自身が楽しそうに演じているのが良かった。
私が風間ファンだということももちろんあるのだろうけど、もっと観ていたい、もっと風間さんが作り出すこの空気に触れていたいと思える気持ちよさがあった。
今まで以上に中毒になりそう(笑)

「カラオケマン」「旅の空」「一人」と続けて上演することで、作品のカラーがより鮮明になったと思う。
簡単に言ってしまえば、「カラオケマン」は現在、「旅の空」は過去、そして「一人」は未来。
「カラオケマン」はあくせく働くサラリーマンの現状を、「旅の空」は記憶を失った男が過去を思い出そうとする様子を描いていた。
この2作に共通するのは、「淋しさ」と「苦さ」かな。
「カラオケマン」なんて風間さんのサービス精神全開で、歌はノリノリだし、笑いも多く大いに楽しめる作品だけど、最後に胸に残るのは、一見お調子者の主人公の心に広がる哀しみだ。
中年になれば、若い頃に思い描いた自分と、現実の自分の姿の差に唖然とすることがある。本当は誠実でいたいのに、ズルく立ち回って逃げだしてしてしまうこともある。普段は意識していなくても、多かれ少なかれ、誰でも心の底には後悔や諦めや懺悔の気持ちはあって、最後の独白にはそんな誰もが持っている痛みへの優しい共感を感じて、泣けた。
学生時代の話をするシーンで、「われわれは最後の最後まで闘うぞー!」とふりあげた拳を、「なーんちゃって」と下ろすシーンも印象深い。
冗談の中に、ほんの少しの苦さが見え隠れして切なくなった。
紙芝居風の背景は今回が初めてだよね?3作連続上演ということで、セットがすぐに変えられるように簡潔になったのだろうけれど、雰囲気に合っていて良かったと思う。

〜財布はあるんです。財布はあるんですが、記憶がないんです〜の、名台詞から始まる「旅の空」 主人公はサウナで記憶をなくした中年男。
警官や精神科の医者を相手に、一生懸命自分が何者かを思い出そうとするのだけれど、甦るのは子供の頃の思い出ばかりだ。
大好きだった時代劇や落語について語るときの男はイキイキしていて、演じる風間さんもとても楽しそうだ。このシーンでは胸のすくような啖呵や立て板に水の名調子が聞けて、風間さんの魅力たっぷり。で、ファンも大満足♪
でも、風間さんの魅力は粋でいなせな男伊達ばかりじゃあない。人間の心の内側の微妙なひだもしっかり感じさせてくれるからこそ、風間杜夫。弱さやカッコ悪さも含めた人間の姿を、ここまでチャーミングに魅せてくれる人は、他にはちょっといないと思う。
結局、自分はいったい何者なのか、思い出せないまま、芝居は終わる。空には綺麗な青空が広がっていて、その空を見上げる男の後姿は孤独だけれど、悲壮感は感じなかった。
秋晴れ(私のイメージ)の空の下、男はたった一人で新しい旅を始める。その姿は頼りなくはあるものの、サッパリとして清々しく見えた。
さて、この男の明日はどっちだ…(明日のジョーか)などと余韻にひたる間もなく、休憩なしですぐに新作「一人」が始まった。

「一人」の主人公は駆け出しの旅役者。たった三言の台詞が言えず座長にどやされ、巡業先の公園で台詞の稽古に励んでいる。
そこに小学生や老婆やリストラされた中年男や女優志願の女子高生が現れ、主人公に絡み、芝居は進んでいくんだよね。
最後に男の息子が登場して、男の謎が解ける。「カラオケマン」と「旅の空」の主人公は同じ人物で、「一人」は「旅の空」の2年後だった。
3本見終わった時の、なんともいえない気持ちが軽くなったような感覚は、きっとこの 「一人」での風間さんの飄々とした味わいのせいなんだろうなと思う。
風間さんの演技を見ているうちに、狭い世界で、ちっぽけなものを必死で守って、人は忙しく生きているけれど、いや、他人から見れば取るに足りないようなものを一生懸命に守る姿も美しいとは思うのだけれど、そんなもの、なくなってみれば、実は何でもないものなんじゃないか。自分がいなくても家庭も会社もまわっていくし、人間、裸になっても、案外生きていけるものなのかも…(ここまで書いて、なんだか山田太一作品みたい…と思った。でもテイストは全然違う)と思えて、スーっと肩の力が抜けていくようだった。
もちろん大人には責任というものがあり、自分の好きなことだけして生きるわけにはいかない。でも、一番大事なものは何だったのか、忙しい生活の中で、ちょっと立ちどまって思い出してみるゆとりは、必要だと思う。
これからは、ゆっくり歩いていきませんか?と、世のお父さん世代だけじゃなく、最近殺伐とした事件が続いて疲れている日本人みんなに呼びかけているような芝居だなと思った。

「一人」は一本の独立した芝居というよりも、「カラオケマン」と「旅の空」のエピローグ篇といった感じだった。
3本立てという特殊な上演方法だったので、わざと抑えたのかもしれないけれど、「一人」は前2作と比べるとストレートすぎて弱いような気がした。
でも、2作続けて上演したあとの、締めの作品としては、これぐらいがちょうどいいのかもしれない。
今後、「一人」だけを上演することがあるのかどうかわからないけど、もしあるとしたら、また新たに手を加えて、もっと違った作品になるんだろうな。

風間さんはサラリとやってのけているけれど、ひとりだけでここまで表現できるというのは、相当凄いことだよね。ひとり芝居の可能性がグンと広がったような気がする。
実際はそんなに簡単にはいかないんだろうけど、ひとりだけでもなんだってやれそう。
相手役がいなくても対話がここまで成立するんだから、ありものの戯曲でもイケるのでは?なんて、つい無茶なことを考えてしまうわ。ま、言うのは簡単だよね。
喉と体力のことを考えると、「旅公演を」とか、「再演を」とは言いにくいけど、出来るだけ多くの人に観てもらいたい舞台だと心から思う。
12月にBSで放送されるということで、本当に嬉しい。生の舞台とテレビ中継は別物だけど、風間さんの舞台での魅力の一端には触れてもらえる。
山川静夫さんの「華麗なる招待席」には、いつも出演者や演出家のインタビューがあるんだよね。これも楽しみだ!

今日は風間さんは末廣亭で、落語(居残り佐平次?)を披露しているはず。
どんな様子だったんだろう?観たかったなあ。
昨日まで舞台で今日は落語。ホントに精力的な活動ぶりだよね〜。
来月は「世阿彌」だし、今、ノリにノッてるんだろうなあ。
来年は「燃えよ剣」 当分、風間さんの活動から目が離せそうもないな。

「燃えよ剣」といえば、キャストが全員発表になった。
これが小劇場ファンにはたまらんキャストなのよ〜。
すでに発表済みの上川、風間、富田、羽場、葛山に加えて、塩野谷正幸、山内圭哉、京晋佑、渡辺哲(敬称略)でしょ。
その他の出演者を見ても、ガッチリ小劇場出身者で固めてる。
これだったら座長の上川隆也(敬称略)もやりやすいのでは?と思う。
出演者の名前の後に、カッコして出身劇団を入れたら、70年代80年代の小劇場を代表する劇団名がズラスラ並ぶはず。
キャラメルボックスだって、アングラから出発した小劇場から、あれだけ明るく健全な劇団が登場するようになったという意味で90年代を象徴する劇団だと思うし、明治座がこういうキャストで座長公演を打つようになったのも、時代の変化だよね。
小劇場といっても、アングラと呼ばれた状況や早稲小から数えれば、40年近い歴史があるわけで、アングラ第二世代の風間さんや塩野谷さんから、若手最前線の山内圭哉(最近、売れてるよね〜。今、一番勢いのある若手俳優じゃないか?)まで、各世代の小劇場のスターが揃う「燃えよ剣」には、興奮せずにはいられないのさ。
まあ、商業演劇も小劇場も新劇も、今は境のない時代だけど、私が近鉄小劇場なんかで観てきた俳優さんたちが風間さんと共演するのは嬉しいものです。
できるなら、それぞれの役者をたっぷりと絡ませて、見応えのある群像劇にして欲しい。
もちろん土方・近藤がメインになって当然だと思うけど、これだけ個性的な役者を使うのだから、演技合戦を期待するなって言うほうが無理でしょう。
このキャストなら若者向けの演劇雑誌にも大きく取り上げられるだろうし、来年の春が待ち遠しい。さあ、500円玉貯金に励むぞーー( ̄0 ̄)/ オォー!!

東京に行った24日は「ひとり芝居三本立て」を観てすぐにホテルに帰った。
25日は昼「ひとり芝居」、夜は、とあるサイトで知り合ったSちゃんが出演するライブイベントで渋谷のライブハウスへ。
これがオールスタンディングで4時間!けっこうヘビーな一日。
26日は、新宿で大阪で見そこなっていた映画「永遠のマリア・カラス」を観て、その後、シアタートップスへ移動。かもねぎショットの『「おはよう」の国』を観て、夜7時の新幹線で大阪に帰った。
今日は長くなりすぎたので、これらの感想はまた次回。
 
2003年10月21日(火)

今日、松竹座に『若き日のゴッホ』を観に行った。
松竹座らしからぬ演目だけど、主役のゴッホが尾上菊之助のせいか?
お客さんは年配の方が多くて、芝居のあいだじゅう、どこかで「ゴホゴホ」(シャレにあらず)と咳の音がしていたのにはマイった。風邪をひいていた人が多かったのかもしれない。今週末は東京で観劇だ。私も気をつけなくては。
それはともかく、内容は、若き日のゴッホと下宿屋の未亡人を中心にした話。未亡人を演じるのは桃井かおり。後は未亡人の娘に京野ことみ、その恋人で下宿人に小橋賢児、ゴッホの妹に池脇千鶴という若手キャスト。
観る前は若干若手(特に京野と池脇:呼び捨てでスンマセン)に不安があったけれど、観てみると悪くなかった。京野ことみは姿が綺麗。池脇千鶴は舞台に向いているかも。もっと子供っぽくてか細いイメージがあったのだけど、案外しっかりしてる。技術的にはまだまだなんだろうけど、将来いい女優になれそうな気がした。
桃井かおりの役は、未亡人になってから15年もたっているのにまだ夫の死から立ち直れず、神経過敏な下宿屋の女主人。
若きゴッホ(19?)が部屋を借りに現れたことから芝居は始まる。
ゴッホは最初は娘に一目ぼれして部屋を借りに来たのだけど、そのうち娘ではなく、未亡人に恋をしていることに気付く。
神経症気味の未亡人と激しい性格のゴッホのやりとりは見応えはあるものの、観念的な台詞が多く、気を抜くと寝てしまいそうだった(^▽^;)←寝不足だったし…と言い訳
とても繊細で微妙なやりとりなんだけど、ゴッホという人にあまり魅力を感じなかったせいかもしれない。
未亡人はおそらく40代後半ぐらいの年齢で、ときめくことのない毎日の繰り返しだったのが、ゴッホに強く求められることで輝きを取り戻す。黒ばかり着ていた未亡人が、白と水色の鮮やかな服装で登場するシーンは可愛かった。
桃井かおりの演技からは、本人にとっては絶望的な状況でも、客観的に見ればクスっと笑ってしまうような人間的な可笑しみが感じられた。
傲慢で自信家だった若きゴッホが、人を愛し傷つけ、どん底の生活も味わい、やがて絵を描き始める。人間ゴッホの変遷というのか、成長物語といった感じの話だった。
きちんと作られた作品だし面白かったんだけど、自分にとって特別な作品にはなりそうもないな。
今日は半額で観たからいいけど、正規の値段(1万円ちょっと)だったら高いなあと思う。

先週ラインシネマで香港映画の『インファナル・アフェア』を見た。
タイトル覚えにくいなあ。ずっと「インターナル・アフェア」だと思い込んでてチケット窓口でもそう言っちゃったよ(^^;)
原題(中国語のタイトル)は『無間道』
いきなりVシネマチックというか、ヤクザ映画の香りが漂ってくるけど、こっちのほうがずっと雰囲気出てる。
切れ者の刑事(実はギャング組織の回し者)アンディ・ラウと、ギャングの構成員(実は潜入捜査官)トニー・レオンの二人が、麻薬の取引をめぐり暗躍し、やがて対決する話。
いや〜面白い!よく練られたストーリーの魅力的な映画だった。
全体的にはスタイリッシュなのに、時々妙に感傷的になったり垢抜けないメロドラマみたいな音楽が流れるのも香港映画らしくて微笑ましい。
スター俳優の魅力を生かしたメジャーな映画ならではの華やかさもあって楽しかった。
ブラット・ピットがアメリカでのリメイク権を買ったそうだけど、30代から40代前半の俳優さんなら、国を問わず誰でも演じてみたい役だと思う。
誰と誰の組み合わせがいいかとか、この役者はアンディ・タイプか、トニー・タイプかなどなど、キャスティングで遊べる映画だよね。
20年前の風間さんならアンディ・ラウだと思う。今ならトニー・レオンの上司だろうな。『天国への階段』を思い出すと、組織の親分もイケるような気もするけど。
日本でも1年後ぐらいには、似たようなテレビドラマが登場する予感がする。

先週DVDで見た映画
『アカルイミライ』
藤竜也が良かったな。
ラストで群れて歩く高校生の姿の上に「アカルイミライ」と出るのは切なくてちょっと泣ける。
現実には「アカルクナイミライ」もたくさんあるけど、「アカルイミライ」を信じて生きていくしかないよな。なんて、そんなことを思った。
『8人の女たち』
フランスのスター女優が勢ぞろいして華やか!
1950年代のキラキラしたハリウッド映画のオマージュになっていて、衣装やセットでも楽しめる。
一人一曲ずつ歌って踊るのも楽しい。適当にヘタなのもまたご愛嬌。

借りたDVDを返しにレンタルショップに行った。
店に足を踏み入れたら何か雰囲気がいつもと違う。
「むむ、この歌声は…梶芽衣子だっ」
なんで今頃「修羅雪姫」の主題歌なんだ?!まして洋画のフロアで???・・・数秒考えて気付いた。
「『キル・ビル』のサントラだわ、これ」
日本版だけかと思って輸入版CDもチェックしてみたらちゃんと「修羅の花」が入ってた。
しかしタランティーノ、梶芽衣子とはディープすぎるぞ…
「バトル・ロワイアル」の柴咲コウのことも絶賛していたらしいし、好きなタイプがわかりやすいな〜。
私は『レザボア・ドッグス』を見て興奮して以来ずっとタランティーノの映画は好きで、『キル・ビル』も観にいくけど(前売り買ったし)、今までの中で最高の宣伝量じゃない?(「映画革命」とは大きく出たものよのう)
映画雑誌も軒並み特集組んでいたしね。でも、映画雑誌より「ブルータス」の特集が一番面白かったな。
あんなに自分の趣味を丸出しにして、何十億という制作費の映画を撮れるのは凄いことだと思う。
タランティーノ印がついてたらなんでも「クール!」ってことに成りかねないのも凄い。(いや、実際どうかは知りません。あくまでもイメージ)
トラボルタなんて完全復活できたのはタランティーノのおかげだもん。最初に映画雑誌でキャストがトラボルタだと読んだときは「なんでまた終わった人を…ガッカリ」と思ったもんだけど、実際に『パルプ・フィクション』を見たらすんごく良くて、「すまんかったトラボルタ…」と心の中で手を合わせたさ(かなりウソ)
今回の映画でもデヴィッド・キャラダイン(高校のとき美術の時間に似顔絵を描いたなあ)は本国では活躍していたかもしれないけど、私にとっては懐かしのスターなので復活してくれて嬉しい。
でも、前編にはあんまり出てこないらしいね。

宣伝につられて『キル・ビル』を見ようと思っている人がいたら、正統派のアクション映画ではなくて、B級活劇、一種のバカ映画だと思って見に行かれることをお勧めします。
かなり流血も多いらしいです。
でもあの予告編を見て、正統派なんて思うヤツはいないか〜(^∇^)
それと今回公開されるのはVol.1(前編)で、後編は来年公開ですぞ。

どうでもいいハナシ。
梶芽衣子の『怨み節』が好きでたまにカラオケで歌うが、部屋の空気が重くなっていかん。
あと、藤圭子も暗くなる。
私のお気に入りは『京都から博多まで』
『夢は夜ひらく』なら園まり版のほうが好き。
三上寛版になると生活感があふれ出すぎてて唄うのが辛い(>_<)
って、三上寛版の『夢は夜ひらく』はカラオケに入ってるのか?

藤沢周平『麦屋町昼下がり』読了
今更ながら藤沢周平の時代小説はイイ!

今日はいつも以上にひとりよがりな内容でスミマセン。
 
2003年10月14日(火)

土日はバカみたいに暑かったのに、今日は寒い!11月上旬の気温だったらしい。
テレビの天気予報で「明日の朝は厳しい冷え込みです」と言っていたのを聞き、ようやく出しっぱなしだった扇風機を仕舞って、ヒーターを出した。
いよいよ寒くなるんだなあ。もう10月中旬だもんね。
今年は季節の移り変わりがはっきりしないので、秋を楽しむ間もなく気が付いたら冬になっていそうな気がする。

日曜日、シアタードラマシティーに『二人の噺』を観に行った。
中井貴一と段田安則の二人芝居だ。
段田さんは東京に修行にやってきた上方の落語家という役柄。
中井さんは落語家の留守宅に入り込んだ泥棒で、逃げるタイミングを逃して見つかってしまう。
ここから、二人の奇妙な友情が始まるのね。
40歳を過ぎて最後の勝負に出ようとしている落語家と、気弱な泥棒のやり取りは、芸達者な二人の軽妙な演技もあって、かなり可笑しい。
段田さんは落語も聞かせてくれるんだけど、上方落語独特のリズムが耳に心地よくて、なかなか良い味。
はんなりしてるというのか、品が良くて京都の人らしいなあと思った。(段田さんは確か京都出身)
お話は、後半かなり甘くなってしまったように感じたけれど、ハッピーエンドで気持ちよく劇場を出ることが出来た。
サラリとしていて強烈な印象は残らない。でも、2時間楽しませてくれたので、これはこれで良いような気がする。
優等生すぎたような気も、ちょっとするけどね。

10日ほど前に『座頭市』を見た。
下駄ップだの金髪の座頭市だのと前もっていろいろ聞いていたので、もっと前衛的なものを予想していたら、ごく普通の勧善懲悪ストーリー。
でも、何にも考えないでも楽しめるよく出来た時代劇だったと思う。
タップダンスはラストの祭りのシーンで登場するんだよね。
祭りの高揚感が伝わってくる上手い使い方だと思った。
北野映画の音楽はこれまでずっと久石譲だったけれど、今回は鈴木慶一。
ロマンチックな久石さんとは違ってリズミカルな今回の音楽もまた良かった。

先週、友達に「タダ券あるで〜」と誘われて、『閉ざされた森』を見に行った。
レンジャー部隊の訓練中に起こった殺人事件。
生き残った2名の証言は食い違っている…さて、真相は?というお話。
ヒロインの性格が妙に乱暴で、最後まで馴染めなかったけど、お話はそれなりに緊張感があって面白かった。
でも、最後のどんでん返しが・・・(^▽^;)
いかにもハリウッド映画だなあと、ビックリより笑ってしまった。

映画の後、オープンしたばかりのなんばパークスに行くが、私には縁のない店が多そうだなと思った。
浪花麺だらけはひとだらけ。1時間待ちなんて店もあった。
当分は物珍しさで人が多いだろうから、もう少し落ち着いてからまた行ってみよう。
結局、なんばパークスでは何も買わず何も食べず、和民でちょっと飲んで帰った。

週末3日間、半額だったので、DVDを数本レンタルした。
その店では現在「マトリックス予約キャンペーン」をやっていて、借りる時に「今予約すれば500円引きですよ」と勧められる。
でも、買う気はないので断ると「そうですよね。借りたほうがずっと安いですよね」と、店員なのに醒めた言葉。「買っても何度も見ませんからね〜」と私が言うと、「そうですよね〜」と、あまりにも商売っ気がなくてわろた。
よっぽど予約する人が少ないのか?(~o~)

昨日DVDで『天才マックスの世界』を見た。
名門校の奨学生なのに、クラブ活動にばかり熱心で落第。そのうえ退学させられてしまう15才の少年マックスの青春記。
この映画は、かなり好き!大人気ないビル・マーレーもいい。
辛口の青春ものやホームドラマに目のない私には美味しい映画でした。
 
2003年10月2日(木)

朝夕寒いけど、昼はとってもいい天気。
空を見上げたらきれいなうろこ雲。秋だなあ。

東京から帰ってはや4日。
まだ記憶が鮮明なうちに感想を書いておかないと忘れちゃうよ〜。
というワケで、『死と乙女』について…

ストーリー等、詳しいことは地人会のHPで→ココをクリック

先に映画を見ていたので、内容は知っていた。
だから、「この先どうなるんだろう?」というドキドキはなし。
でも、「あのストーリーをどう演じる?」という興味はたっぷりあった。
この芝居の背景になっている国(チリ)で起こった出来事は、今でも世界のどこかで起こっている問題だと思うし、復讐という感情は世界共通のものだと思うんだけど、今の自分にとっては身近に感じられる事柄ではないので(それだけワタシが幸せだということだね)、頭では理解できても、理屈ぬきで心に迫ってくる芝居ではなかった。
でも、たった3人で2時間強もの時間、緊張感いっぱいに演じた役者さんたちの演技を観れただけで、十分満足。
あれだけ濃密な空間はなかなか体験できないと思う。
(ー。ー)フゥ〜大人の芝居だったわ〜。

映画はあんまり好きじゃなかったんだよね。
当時の感想を読むと、「この息苦しさは苦手」でも「けっこうハラハラした」と書いてある。
ヒロインを演じたのがシガーニー・ウィーバーで、彼女は骨ばっていて、いかにも強そうだった。
そういう人より、もう少し柔らか味を感じさせる人のほうが適役では?と思ってたから、今回の舞台で演じた余貴美子さんは、シガーニーよりも、もしかしたらブロードウェイ版のグレン・クロースよりも、似合ってたのでは?と思う。
育ちの良さ(汚い言葉を言っても下品じゃない)、プライドの高さ、意志のの強さ、繊細さ。いろんなことを感じさせてくれたけれど、凛とした佇まいから立ち昇る色気がたまらなかったなあ。暴力によって解放されて輝いてくるあたり、私の大好きな映画『GONIN2』の余さんを思い出した。
もともと好きな女優さんなのではじめから好意的に見ているということもあるんだろうけど、余さんのしっかりした肉体には、圧倒的な存在感があった。
映画では存在が薄いように感じた夫(風間さんが演じた弁護士のジェラルド)は、今回の舞台を観て初めて、こんなに意味深い役だったのか!と思った。
どうすれば被害者の心は癒されるのか?証拠のない過去の犯罪を個人が裁いてもいいのか?そんな難しい問題を目の前に突きつけられ、とまどい、でも冷静に解決の道を探るジェラルドの誠実な姿は、作者が思い描く最良の仲裁者なのだろうな、作者の思いを最も代弁している人物なのだろうなと思った。
それにこの芝居は、心と身体に深い傷を追った妻・ポリーナと、その妻を支え、包み込み、なんとか癒そうとする夫の、夫婦愛の話でもある。
風間さんは「愛しいと思う気持ち」を表現するのがとっても上手い役者さんだ。きっと私生活でもそうなんだろうなと余計なことを考えてしまうのだけれど(^。^)、余さんを見つめる視線や、痛ましい過去の告白に傷ついた妻を抱き寄せる仕草など、そのテの風間さんの感情表現が好きなファンには、たまらないものがあったはず(*^^*)
ジェラルドは感情に溺れることなく、冷静に事態に対処する優秀な弁護士なんだけど、たった一度だけ、「仲裁役はもうたくさんだ!」と本音をぶちまけるシーンも良かった。

ポリーナの「どうしていつも私のような人間が、我慢しなければならないの!?」という台詞は痛々しかったなあ。
法による裁きには限度がある。結局犠牲者を助けられるのは身近な家族や友人なんだろうと思う。
前を向いてシューベルトを聴くポリーナとジェラルドの姿からは確かな絆が感じられ、人間に絶望していない、未来への希望を感じさせるラストに救われる思いだった。

日本人が翻訳劇を上演すると、ちょっと無理があるよな〜という場合も多いのだけれど、疑惑の医師・ロベルトを演じた立川三貴さんのバタくさい顔立ちには、ロベルトという名前がよく似合っていた。演技も外国ものに向いているように感じた。
私のイメージでは、ロベルトはもっとインテリっぽい演技を想像していたんだよね。
最初に登場したときのロベルトは思っていたよりも俗物というのか、庶民的な人物に描かれていた。
「まさかこんな気のいい人物が、残酷な拷問に加担するとは…」と思わせるためなんだろうか?
私は最初から「医者は有罪」という視点で見てしまったので、あの軽さが妙に胡散臭くて(^^;)、「こいつは自分が助けた人物が国の査問委員会のメンバーだとラジオのニュースで知って、偵察のために戻ってきたに違いない」なんてうがった見方をしちゃったよ〜。
あと、ラストのバラの意味がよくわからなかった。
でも、舞台の上で、最初は猿ぐつわまでかまされて、ずっと縛られたままの状態で芝居を続けるなんて、肉体的には相当なストレスだっただろうなあ。
本当にお疲れ様でした。

26日と28日に『死と乙女』を観て、27日はシアタートラムに演劇集団円の『西へゆく女』を観に行った。
岩松了の同じ戯曲が、先にケラ演出の別キャスト(広岡由里子・宝生舞、他)で上演されていて、そっちも観たかったのだけど、日程が合わず観られなかった。私が観たのは岩松さん本人の演出によるもの。
岩松さんの作品はいつも曖昧で、起承転結のはっきりしたわかりやすい芝居ではない。
でも、台詞のリズムとか、雰囲気が私には合うみたいで、「わかんねー」と思いつつ、なぜか見ちゃうんだよね。
今回はスリリングな芝居で、かなり面白かった。
気のせいか、とても明瞭に台詞が耳に入ってきたように思う。
山の中に建つ元幼稚園に、二人の女性(岸田今日子と平栗あつみ)が暮らしている。
そこに、山道で倒れ、記憶を失くした青年が登場し、芝居は始まる。
謎は幾つも提示される。
青年はいったい誰なのか?二人の女性の正体は?幼稚園で過去に起こった事件とは?事件を調べていた記者はなぜ死んだのか?等々。
物語が進んでなんとなく輪郭は見えてくるけど、結局最後まではっきりとした答えは出ない。でも、この芝居の面白さは、何が起こったか、だけではないんだよね。
狭い世界の中の濃い人間関係に、記憶喪失の青年の登場で変化が起こる。
そのとまどいや疑心暗鬼を微妙な台詞のやりとりで浮き彫りにしていく、その様子が面白い。人間は不可解だから面白いのかもしれない。
岸田今日子は出てきた瞬間からなんともいえずエレガンス。雰囲気あるなあ。
平栗あつみの繊細さも良かった。

27日は午前中時間が余ったので、シネマ・サンシャインで映画『シモーヌ』を見た。
バーチャル女優が世界中のアイドルになってしまう話。
最初はウソっぽ過ぎる〜!と強引な展開に呆れたが、それでも、最終的にはそれなりに見せてしまうハリウッドの職人芸には感心してしまう。
まあでも寓話だとしても、あんまり説得力ないけどな。

昨日、ガーデンシネマで『デボラ・ウィンガーを探して』を見た。
女優のロザンヌ・アークェットが34人のハリウッド女優にインタビューをした記録映画。
最初は女優さん、それもハリウッド女優のインタビューなんて私には関係ない世界さ。って思ってたんだけど、ロザンヌ・アークェット好きだし、評判も良かったので見ることにした。
これが良かったのよ〜!普段は買わないパンフを買ってしまったほど。
見終わって励まされたし、頑張ろうと思った。
最近日本では顔を見られなくなってしまった(売れなくなったということですが)懐かしい女優さんたちの姿を見られたのも良かったな。すごい変わっちゃった人もいたけど。

28日に芝居が終わって高島屋を歩いていたら時計をはめていないことに気付いた。
カバンの中を探し回ったけれど、どこにもない!落としたか?!と慌ててサザンシアターに戻り事情を話すと、落し物として届けられていることがわかり、ホっとした〜。
どこのどなたかわかりませんが、時計を拾って届けてくださった方、本当にありがとうございました。大変助かりました。感謝です!
それにしても、あんなに大きなものを落としたのに気付かないって…???

昨日はメガネを作った。5千円だけど、ちゃんと視力検査もしてもらった。
私もとうとう老眼鏡だよ。あーあ。

買ったばかりのメガネと無事に戻ってきた時計の写真↓


 

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